人を救うために機能している宗教は本来は人に何ら要求することはない。
その要求に応えるために周囲の人に不快な想いをさせることなどは断じてない。
人を救うものは人に何ら要求しない。
人の行動が正しいか間違っているかを決めているのは客観的な評価である。
人は自身はこうであると思い込んでいるときは主観であって自身を客観的には捉えられていない。
人は自身が正しいことをしていると思っているときは正しいことをしているとは限らない。
人は自身が間違っていることをしていないと確実に認められるときに限って正しいことをしている。
人は常に自身が間違っていないか疑い続けない限り正しいことを続けることはできないのである。
自身が正しいと信じ込んでいることでも周囲の人が不快な様子を示したら自身の考えや行動は間違っているのではと疑う必要がある。
自身に間違っている疑いが見られたときは周囲の人の感情や考えを自身の心を改めて丁寧に聴く必要がある。
自身に間違っている疑いが見られたときは自身の信じ込んでいる考え(宗教の教義)が間違っているかもしれないと疑う必要がある。
自身の信じ込んでいる考え(宗教の教義)が間違っているかもしれないと疑うときは他の宗教の教義や何れかの組織の効率的な運営方法や高い生産性の実現の仕方等のpositiveな知識体系を網羅的に理解した上で再度自身の信じ込んでいる宗教の教義がどのようなものか評価する必要がある。
人は弱い。
人は間違う。
人は自身に都合のいいように世界を解釈する。
人は間違いを認めてその間違いを繰り返さないことで正しくいられる。
人は正しくいられることで救われる。
私は正しい宗教の教義に従っているので正しいし救われるは当たり前ではない。
私は正しい宗教の教義に従っているので正しいし救われる 当たり前ではない
01 存在価値