幸せは人が何をどう感じたかで決まるものである。
効率とは得られると想定した結果をより少ないcostで得ようとする試みである。
幸せは体感を通じて気づくものである。
想定した結果は、頭の中の計算後の産物であり、結果に至る過程の中のなかなか見えてこない摩擦までは計算の対象に含めることは困難である。
そのために、幸せの素となる心の琴線に触れる摩擦が多分にそぎ落とされた味気ないものに収まることが往々に生じる。
効率化された結果ばかりに触れていることは、喜びや期待感といった感動につながる素がごっそりそぎ落とされてしまったパッサパサの物を食べ続けながら、『 幸せってこんなものか。たいしておいしくもないよね。 』とわかってないのにわかってしまった感に浸る恐れがあるのである。
効率が良いほど幸せになれるは当たり前ではない。
参考:誤った効率を求めた結果
《座間9人殺害》獄中で語られた凄惨な犯行手口「首を輪にかけたら尿を漏らして、ブルブル、ブルブルと…」
「1年以上セックスをしていない」男性41.1%…なぜしたくてもできないのか?
効率が良いほど幸せになれる 当たり前ではない
01 存在価値