勉強をしなければいけない。
勉強をした方が良い。
そんなこと誰でも知っている。
勉強をしていない当人も知っている。
それでも勉強をしないのである。
勉強を本気でさせたいのであれば、勉強をしろと当たり前のことを言い続けても無駄である。
勉強を本気でさせたいのであれば、勉強に向かう状況を改善するしかないのである。
勉強をすることは『 義務である』と言っているのであれば、それは止める。
例えば、勉強に似たものに仕事がある。
仕事をすることは『 義務である』と日本国憲法でもうたっているが、実際に仕事をしないで生きている人はいる。
同様に、実際に勉強をしないで生きている人はいる。
実際とは異なるキレイゴトをいくら並べても人は動かない。
勉強は嫌々やるものではない。
同様に、仕事も嫌々やるものではない。
勉強を嫌々やったところで時間の無駄だからである。
仕事を嫌々やったところで社会の品質の低下が生じるだけだからである。
社会の品質の低下は未曽有の大災害や不正会計にも繋がることがある。
勉強はやりたいからやるものである。
勉強は他者がやらせるものではなく当人がやりたいからやるものである。
他に勉強のやりようはないのである。
自身を取り巻く世界の仕組みを知ること全てが勉強である。
当人が興味を持ち『 知りたい・やりたい 』と思ったことが勉強の始まりである。
勉強をやらせたいのであれば、当人が興味を持つことに触れる環境を整えるしかないのである。
その上で、当人が発達段階の未熟な状態であれば、興味に繋がる欲望の形成について注意深く見守らないといけないのである。
他の生命をいたずらに傷つけかねない欲望に関しては薄い方が望ましいし、その欲望の充足方法については正しい手順を理解して被害を生まないように導かなければならないのである。
間違った勉強をしたがゆえに、加害者にひいては犯罪者になってしまうからである。
加害者や犯罪者は間違った勉強をしてそれを実行してしまった愚か者なのである。
勉強を本気でさせたいのであれば、勉強を促す環境を注意深く整えることである。
勉強を本気でさせたいのであれば、勉強をしろと当たり前のことを言い続けても無駄である。
勉強をしろと言えばその人は勉強をするは当たり前ではない。
勉強をしろと言えばその人は勉強をする 当たり前ではない
01 存在価値